「ゲーム的な意味よりも世界観的な意味が大半を占めるスキルなのかも」
日記は初めまして。
普段はストーリーをメインに、戦闘系コンテンツを遊んでいる者です。
黄金のレガシーのストーリーが終わり、今は零式に向けてクラフターの育成や素材集めなどを頑張っています。
そのお供としてまとめ動画や過去のPLLの切り抜きを見ているのですが、「フィジク」についての話題を見かけることがありました。
学者、召喚士ーーもとい、巴術士で覚える回復魔法、「フィジク」さんですが、ゲームにおいては強いとはおおよそ呼べないアクションです。それでも、Lv100という強さになってもなお、覚えている。
よく考えるとそういうアクションはほかのクラスやジョブでも見かけます。
ヒーラーロールの「リポーズ」、キャスターロールの「スプリル」、ナイトの「シールドバッシュ」や機工士の「フレイムスロワー」……ぱっと思いつく範囲でも「強いよね」とはあまり言わないアクション。
たまにこの辺りでゲームの調整的な話を聞きますが、特に運営からはそういう動きはありません。
全く意味のないアクションかと言われると低レベルなどでは使ったりするので、ゲーム的な意味は全くないわけではないものですが、私としてはそういうアクションって他の強いアクションやよく使われるアクションと持つ意味が異なるのではないかと思いました。
これらのゲーム的にあってもなくてもと思われがちなアクションは、『ゲーム的な意味よりもその世界に生きるクラスやジョブというものの世界観を表現するためにあるもの』なのかもしれないと。
私自身は過去作のFFについては実際にハマるほどにプレイしているわけでもなく、ストーリーも聞きかじった程度なので、過去作リスペクトとしてある側面については深く考えることはできないので今回は置いておきます。
そこに至った経緯として、私自身はFFXIVというMMOの外ではお話を書いたり、TRPGで遊んだりなりきりチャットに居たりと、デジタルゲームのPvPやPvEをよくしているわけではなく、どちらかというと世界観に浸かることを主軸に置く遊びをしてることが多いからこその考え方であるというのが大きいと思います。
その世界におけるたとえば黒魔道士の「ファイガ」は数値としての力はありません。その魔法の演出や見える効果、至った成り立ちこそが「ファイガ」という魔法を定義する世界です。実際の威力は描写によってしかわからず、明確な数値があることの方が邪魔……まであります(私個人の意見として)。
FFXIVはMMOというコンテンツであり数値によって威力が定義される世界でありつつも、ストーリーや世界観というものを大切にしていらっしゃって黒魔道士のジョブクエストにおいてはド派手に見えるし実際そうと言える威力をしている「ファイガ」の魔法やその他高威力魔法を使っても光の戦士は殺すまでの威力を出さないように調整していると言われるシーンがあります。
当たり前に使われる「ファイガ」というアクションがそうであるなら、「フィジク」「スプリル」といったあまり強くないアクションも世界観に落とし込まれることで生まれる意味や強さがあって、もしかしたらそっちの方が意義としては大きいのではと考えました。
「フィジク」を例にとります。
覚えている限りではクエスト中におけるこの魔法の言及はなく、ヒーラーロールクエストにおいて回復魔法として指定されている限りの関わりです。
覚えるのは巴術士のクラスのころで、のちのジョブとなる学者と召喚士でもクラススキルとして定義されています。しかしその後はヒーラーロールである学者で強化がされるわけでもなく、ましてやDPSロールの召喚士で強化がくることもない魔法です。
ゲーム的には赤魔道士の「ヴァル・ケアル」より威力の低い回復魔法で使うことの意味を見出せないですが、世界観として考える「フィジク」は巴術士というクラスの多様さを表現するのに一役買っていると思います。
巴術士は本に算術を刻み、それによって魔法を扱うというお話が習得序盤で歴史として話されていたと思います。この算術の応用度の高さを代表するスキルが回復魔法「フィジク」と攻撃魔法「ルイン」の二つなのではないのでしょうか。そして、それはやがてヒーラーロールの学者とDPSロールの召喚士になる。特化したとしてこの応用度はいまもなお根深く生き続け、攻撃魔法「ルイン」と「フィジク」はどちらのジョブにも残される……やがて「ルイン」は進化して学者では「極炎法」に、召喚士では「ルインガ」と各召喚獣の通常攻撃手段に、回復魔法「フィジク」は学者では新たな回復魔法の基盤として、召喚士では名残りとして残された。
そう考えると「フィジク」という回復魔法もただの威力の弱い回復魔法だけではない意味が生まれてどちらかといえば、そういう意味で残っているのだとも考えられるのではないでしょうか。
無論、これは私個人の考えであり実際はどうであるかはわかりません。
もしかしたら設定資料集に載っていることで、私がただ無知なりの考えをしているのかもしれません。
ゲーム的に弱いというのは話は否定はしませんし、私自身も感じていることですがこう考えるほうが楽しいし受け入れられるものになるのであればよりFFXIVという世界を面白く感じられると思います。
結論として「フィジク」「スプリル」などのあまり使われないアクションはゲーム的な意味よりも世界観的な意味が大半を占めるアクションとして今も、もしかしたら今後もあり続けるそういう役割を持ったアクションなのかもしれないと考えました。
つらつらと書きましたが、これは私というプレイヤーの一個人の考え方です。日記という形にまとめたのは運営さんにアクションに関してこういう解釈でいるプレイヤーもいますよと、伝えたかったというのが大きなところです。わざわざフォーラムに書くことでもないし、でも伝えたいしと思ったらこんな形になりました。
運営さんでなくても一人のプレイヤーとしてこの日記を読んで貴方の中のFFXIVという世界が、エオルゼアという場所が、広がったり、考えるきっかけになったりしたのであればそれは幸いです。
以上、長々とお読みいただきありがとうございました。
カーティス・リコード