2022年8月25日にスパイク・チュンソフトから発売されたPS5/PS4/Nintendo Switch用ソフト「ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット」のレビューをお届けする。

目次
  1. スタート時に選んだ主人公の「アーキタイプ」によりゲームプレイは大きく変化
  2. 24人格の能力により、重要な証言を引き出せる可能性が変動する“スキルチェック”
  3. 能力ボーナスを付与するふたつのシステム「装備」と「思考キャビネット」
  4. 誠実で注意深い日本語ローカライズが生み出す、作品世界への深い没入
  5. プレイヤーの“信条”を試し、思考を深める切っ掛けをくれるゲーム

「ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット」はエストニアに本社があり、イギリス・ロンドンを拠点とするゲーム開発会社、ZA/UMが手掛けたRPG。記憶喪失の刑事になって、奇妙な殺人事件の解決を目指すストーリーが展開される。

こうしたストーリーは、RPGよりもむしろアドベンチャーゲームによく見られる題材だろう。本作のジャンルがRPGであり、そして唯一無二のゲームとなっている所以は、主人公が自分の内にある24の人格(スキル)の意見に耳を傾けながら捜査を進めていくという部分にある。

経験値が貯まってレベルが上がると、スキルポイントを入手。24人格のいずれかの数値をひとつ増やすことができ、これを繰り返すことにより人格の力関係が変動。捜査の中での各人格の発言力も変化するため、会話の中で得られる情報や、これに対する各人格からもたらされる所感も変わっていくのだ。

なんだかややこしい話だと思うかもしれない。実際、本作は物語、ゲームシステム共にシンプルで分かりやすいものではない。そしてその複雑さこそが、このゲームで味わえる体験を、極めて興味深いものへと押し上げているのである。

もとになった「Disco Elysium」は、1年間に発売されたゲームの中から特に優れたタイトルを表彰する“The Game Awards 2019”において、“Best Narrative”(最優秀ストーリー・脚本)や“Best Role Playing Game”(最優秀RPG)をはじめ、4部門の最多受賞を達成。

このたび日本語版が発売となった「ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット」は、タイトルに「ザ ファイナル カット」と付いているとおり、「Disco Elysium」に新たなクエストやエリアを追加した決定版と言える内容になっている。

人を選ぶことは間違いないが、2022年に最もプレイすべき海外タイトルのひとつであることも、すでにプレイしている筆者の感覚から言っても紛れもない事実だ。そう感じた所以について、いまからたっぷりとご紹介���ていこう。

スタート時に選んだ主人公の「アーキタイプ」によりゲームプレイは大きく変化

最初にプレイヤーは主人公の「アーキタイプ」を選択することになる。主人公の内にある24の人格は、知性・精神・肉体・運動能力の4タイプに分かれており、選んだアーキタイプによってどのタイプの人格が優位な人物か(≒どんな能力が高いか)が変化するのだ。

デフォルトのアーキタイプは、知性に優れた「思想家」、精神力に優れた「神経質」、強力な肉体を持つ「肉体派」の3つだが、イチから能力を振り分けて自分だけのキャラクターを作成することもできる。ここで選んだアーキタイプと、その後のスキルポイントの振り分けかたによって、主人公が得意とする事件の捜査方法や、それに伴う選択肢も変化。ひいてはストーリーの展開すらも変わっていく。

ゲームは主人公がホテルの一室で目覚めるところから幕を開ける。ここで筆者は早々に面食らうことになった。まだ意識が混濁している主人公に代わって、彼の中にある人格がとにかく喋りまくるからだ。そして選択肢の中から、哲学的な問いに対する回答を延々と選ばされる。ゲームとして操作できるようになる前からこんなにたくさんのテキストを読まされ、しかも状況も分からぬままにこちらの回答を即されるとは思わず、驚いてしまったというわけだ。なお、ここでのテキスト量など、ほんの序の口であることがすぐに判明する。

ちなみに、筆者は本作のプレイをアーキタイプ「思想家」で始めたため、知性に属する人格の中でも特に「百科事典」と名付けられた人格が優位となり、ほかのキャラクターとの会話などの中で補足的にさまざまな知識を得られた。一方、試しに「肉体派」でも最初からプレイしてみたところ、肉体言語を行使することでむしろ「思想家」よりも早く打ち解けられた人物も存在した。

アーキタイプの違いに伴うストーリー展開の変化には驚いたが、「こちらのほうが攻略に有利」とハッキリ言えるような難易度的な差異は感じられなかった。得意とするコミュニケーションの仕方が異なるため、プレイヤーにもそれぞれに合った立ち回り方を求められるといった印象だ。主人公のロール(役割)が変化すれば、ゲームプレイも大きく変わる。これは本作がアドベンチャーではなくRPGだからこそ味わえるおもしろさのひとつだろう。

24人格の能力により、重要な証言を引き出せる可能性が変動する“スキルチェック”

自分の内側にある人格との対話の末にパンイチで目覚めた主人公は、自分からそれまでの記憶が完全に抜け落ちていることに気づく。自分が刑事であること、どうやら酒癖が極めて悪いことなどを把握しながら、カフェテリアになっているホテルの1階でこの事件を共に捜査することになる刑事、キム・キツラギと落ち合い、捜査は本格的に幕を開けることとなる。

本作は、登場人物たちとの会話も含めた、画面内にあるものに対するインタラクションによって進行していく。ホテルの裏にある空き地に放置されているという首吊り死体。この人物が死ぬことになった理由を、現場検証や、周囲の人々への聞き込みによって紐解いていくのだ。

テキストは画面右側に配置された縦長のウィンドウに表示され、直近のものならばすぐに遡って確認できる。頻繁に選択肢が現れるので、ここまでの会話の文脈を踏まえた返答をするのに適したインターフェースと言えるだろう。

選択肢は基本的に気になるトピックから順番に選んでいけばよいのだが、いくつか注意すべき点がある。ひとつには主人公には体力・気力の数値が設定されており、これらを削られてゲームオーバーになってしまうことがある点。ゲームオーバーになると最後にセーブした場所からやり直しになってしまうので、それなりの頻度でオートセーブも行われるとは言え、危険そうな選択肢を選ぶときは、直前に手動でセーブをしておいたほうがいいだろう。

もうひとつは、“スキルチェック”と呼ばれる「成功 / 失敗」判定のある選択肢が存在する点。スキルチェックにはそれぞれに対応する人格があり、その人格の数値によって成功確率は変動。もし成功すれば、有用な証言を引き出せるかもしれない。

また、スキルチェックにも“レッド”と“ホワイト”の2種類が存在。レッド・スキルチェックは一度失敗すると再挑戦はできないが、ホワイト・スキルチェックはその人格に新たにスキルポイントを振り分けると再挑戦できる。レッドのほうを確実に成功させたいときは、成功確率が低いうちはいったん保留にして、レベルを上げてから挑戦したほうがいいだろう。

レベルアップに必要な経験値は、“会話の中で新たな知見を得る”、“捜査の中で生じたタスクを達成する”などのタイミングで得られる。インタラクションを繰り返すことでレベルが上がり、スキルポイントを振り分ける。これによって以前は失敗したスキルチェックに再挑戦してさらに新たな情報を聞き出す――ゲームの根幹にあるシステムだけを切り出せば、このようなゲームサイクルになっている。

また、本作には時間経過の概念も存在する。どうやらこの時間経過はインタラクションにおけるテキストの量や内容によってのみ進行するらしく、例えばフィールドの端から端へと移動したとしても、それで時間が経過することはない。こ��点でも、あくまでインタラクションとテキストが中心にあるゲームなのだ。リアルタイムに時間が経過するわけではないので、急かされるのが苦手な人も煩わしさは感じないはず。むしろ「どんな順番で誰に話を聞き、どういった質問を投げかけるべきか?」などと熟考したい人にピッタリの仕組みと言える。

能力ボーナスを付与するふたつのシステム「装備」と「思考キャビネット」

本作には、上記のスキルシステムにも影響を及ぼすさらにふたつのシステムが存在する。まずは「装備」の概念だ。主人公が身にまとう衣服や手に持てる道具には、24人格のスキルにボーナスが付く効果がある。スキルチェックの成功率を高めるために、特定の人格にボーナスが付く衣服に着替えるといったこともできるのだ。

もうひとつのシステムが「思考キャビネット」と呼ばれるもの。ゲームを続けていると、いずれかの人格から呼び止められることがあり、ここで思考を受け入れると、この思考が手に入り、スロットにセットできる。この状態でゲーム内時間がある程度進むと、ブレイクスルーが発生。こちらも装備同様、特定の人格にボーナスが付くようになる。なお、思考をセットできるスロットは、スキルポイントを消費して増やすこともできる。

レベルアップにより各人格の数値を増やすこと、それから装備と思考キャビネットによる補正。これらを総合することで、最終的に出力される主人公の人格の力関係が確定する。最終的にどのような人物でありたいかを考え、これらを組み合わせていくのもまた、このゲームならではの独特の味わいになっている。

ゲームシステムに関わる部分としては枝葉ではあるが重要な要素として、お金の概念についてもここで書いておこう。ゲームがスタートしたときの主人公は無一文で、このままではホテルの部屋も追い出されてしまう。夜はホテルで睡眠を取れば体力・気力が回復するので、健康で文化的な仕事を行うためにも、なんとか死守したいところだ。

落ちている小銭を拾うこともできるが、大きな金額が手に入るのは稀。会話の選択肢にお金を無心するものが現れることがあるため、自然とこちらを試みることになるのだが、誰も簡単には貸してくれない。他人にお金を貸す心理的なハードルの高さは誰もが身を持って理解できるかと思うが、加えて主人公が捜査している地域は、決して裕福とはいえない労働者の多い場所だ。誰もが日々の暮らしのために、財布の紐は固く結んでいる。

筆者の場合、こうした局面でもやはり、スキルチェックの成否がお金を手に入れられるかどうかの分かれ道となったが、もしかしたら、筆者の見つけられていない入手方法もあるかもしれない。ホテルへの宿泊以外にも、本屋や売店、怪しげな露天など、お金を使うことで捜査に役立ちそうなアイテムが手に入るスポットは無数にある。これらをどう活かすか? それもまた、試行錯誤のし甲斐があるところだ。

誠実で注意深い日本語ローカライズが生み出す、作品世界への深い没入

手探りで調査を続けていると、ストーリーが進展していく本作。着実に情報は積み上がり、タスクは達成されていくので、優れた推理力が必要なわけではない。効率の良し悪しはあれど、多くのプレイヤーが物語を読み進められるはずだ。

テキストの中には、事件とは無関係そうに思える情報も多く含まれている。主人公が記憶喪失で、この世界の情勢から何から前提となる知識を必要としているので、当然と言えば当然だ。そうして世界の情勢に触れていくと、殺人事件が起きた地域の成り立ちや、現在置かれている特殊な状況、そこで日々を生きる労働者たちの苦悩といった部分の輪郭が掴めてくる。

それらを紐解いていくと……すべては、殺人事件が起きた理由とまったくの無関係では決してなさそうだということが見えてくる。人々の不平不満や、そこはかとない不安は、時として思わぬ形で表出される。本作に用いられた膨大なテキストは、そうした世の中で引き起こされる悲劇にまつわる、ひと言では言い表せない複雑さを、単純化することなく描くためのものなのだと思う。そう考えると、主人公を記憶喪失にし、プレイヤーと同じゼロ地点から“作品世界を把握する”という行為をストーリー上必須とした理由にも、合点がいく。

筆者は英語の読解力が低いので、原語である英語版での表現との差異を細かに精査することはできない。だが、それでも「ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット」の翻訳が、このゲームが本来持っている価値を毀損することの無いよう、極めて誠実に、そして注意深く行われたであろうことは、日本語版をプレイするだけでもかなり伝わってきた。

日本語ローカライズを行う場合、もとのニュアンスを噛み砕いた分かりやすい言い回しに意訳する方針もあり得ると思うのだが、本作は括弧書きで“訳注”を加えている箇所も散見されるなど、原語が持つニュアンスを可能な限り正確に伝えるための日本語化が徹底されている。

結果としてなかなか硬質なテキストになっており、文章量に加え、���の点でも翻訳小説などの文体を読み慣れていない人は、咀嚼するのにそれなりに骨が折れるかもしれない。し��し、作品世界で生きる人々が感じている微妙で複雑なニュアンスの感情さえも捉えようと言葉を尽されたテキストは、読めば読むほどに、この世界が現実に存在するかのような立体感をともなってプレイヤーの脳内に組み上がっていく。

そう感じ始めたときには、すでにプレイヤーは本作の虜となり、これから明かされる世界の情勢や捜査の進展が、気になってたまらなくなっているだろう。読書に夢中になり、次のページをめくる手が止まらなくなるときのような感覚だ。

また、筆者はゲームのテキストの誤字によく気づくほうなのだが(文章を書く人ならば分かってくれると思うが、これは自分が書いた原稿の誤字に気づく能力とイコールではない)、凄まじいテキスト量にもかかわらず、本作ではいまのところ誤字をまったく見つけていない。この点からも、本作のローカライズが如何に心を砕いた丁寧な仕事の上に成り立っているかが察せられる。

本作は評価の高まりから日本でも知名度が上がり始めたころ、そのテキスト量と翻訳の難しい表現の多さから、日本語ローカライズが困難なゲームであると言われていた。そしてローカライズの質がそのまま体験の質に直結するタイプのゲームであるため、日本語化が決まってからも、そのクオリティを不安視していた人は少なくなかったと思う。

「ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット」の翻訳チームは、そうした大きなプレッシャーに、見事打ち勝ったということなのだろう。素晴らしいローカライズに仕上げてくれたことに、心からの感謝を表明したい。

プレイヤーの“信条”を試し、思考を深める切っ掛けをくれるゲーム

国も地域も、人種も架空のものが用いられている本作だが、そうして描かれているのは現実と変わらない、世界の分断だ。

事件の起きた地域では、とある理由から諸外国への反感が高まっている。この国の出身でありながら、遠い国にルーツがあることが外見から察せられる主人公の相棒・キムには、偏見を伴った言葉が投げ掛けられることもある。

労働者たちは自分が生きることで精一杯。彼らの現状が変わるために必要な知識も教養も、持っているのは明日の生活に困ることなど無いであろう裕福な人々という捻じれが、現実同様に起きている。主人公もまた貧困に喘��側の人間ではあるが、刑事という職業柄、そうした立場を超えて、さまざまな考え方の人物と関わっていく。24の人格との対話を通して選んだ選択肢が、どんな立場の人間に寄り添い、何を糾弾するかという政治的な立場の表明と言える状況も少なくない。

もちろん架空の世界が舞台の物語として、プレイヤー自身とは完全に切り離してプレイしても、抜群におもしろいゲームではある。決してシリアス一辺倒ではなく、馬鹿馬鹿しいやりとりに思わず笑ってしまう局面もたくさんあり、それもまた楽しい。

しかし、現実世界の問題と照らし合わせて「こうした問題に対して、自分はどういった信条を持ち、どのように行動すべきだろう?」と考えたほうが、主人公の行動に対して切実に向き合い、より深くゲームプレイに没入できる作品であることも確かだろう。2周目は自分の信条とは正反対の行動を取り続け、その是非を相対的に検証してみるのも、きっとおもしろいはずだ。

「ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット」が備えた複雑さは、複雑すぎて目を逸らしたくなったり、単純化して、理解したつもりになることで安心したくなってしまう――そんな現実を反射する鏡のような役割を託してのものなのだと思う。

絶対の正解など無いであろう数多の問題に対し、どんな信条で“選択”すべきか? 本作に、そうした思考を深める切っ掛けとなることを期待するのなら。その人にとって本作は、この1年どころか、生涯にわたり最高のゲームになってくれるかもしれない。

※メーカー発表情報を基に掲載しています。掲載画像には、開発中のものが含まれている場合があります。

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