ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット - レビュー

小説家 藤田祥平の脳内会話で生み出された総括はいかに!?

※購入先へのリンクにはアフィリエイトタグが含まれており、そちらの購入先での販売や会員の成約などからの収益化を行う場合はあります。 詳しくはプライバシーポリシーを確認してください

編注:本レビューは小説家でもある藤田祥平氏の脳内会話を言語化した一風変わったレビューとなっており、内容はわかりづらいかもしれない。しかしその結果、あなたは本作のストーリーの核心(……あるのだろうか)触れないまま、本作の雰囲気を存分に体験することができる。またゲームプレイの内容は存外わかりやすく書かれているため、肉体装置がネタバレ警報を出さない場合は一読をおすすめする。


インターネット上のランダムな文章―― 『ディスコ エリジウム』だ。このタイトルを片仮名で書けるのは、嬉しい。日本語訳の発表まで、三年かかった。そのあいだにわたしたちの世界は疫病に侵され、500万の命が喪われ、欧州の東で戦争が始まった。たしかに、いい頃合いなのかもしれない。現実といういまいましい世界を忘れ、べつの世界にどっぷりとはまるのに。

本作はテキストを主体としたアドベンチャーである。英語で発表された原文のワード数は、100万を越える。ここまでの量のテキストが含められたビデオゲームがこれまでに存在したのかどうかは知らないが、比することができるものといえば、日本のギャルゲーくらいだろう。そして、ごく大雑把に言えば、日本のギャルゲーは文章それ自体というより、新奇なプロットや展開によって読者のつかんできた。描写それ自体の洗練、つまり文藝として読ませることをめざし、これだけ徹底した作品は、ほかにない。唯一無二だ、というのも……

肉体装置 (少し難しい:成功) めんどくせえ。

インターネット上のランダムな文章―― えっ? 何だって?

肉体装置 読書なんて、メガネをかけたオタク野郎がやることだ。そしてネット上の無名の評論家の記事を、それが無料だからという理由で読むようなやつは、オタクなうえに汚物嗜癖症だ。全員失せやがれ。胸くそが悪い。

論理(難しい:成功) ちょっと待ちたまえ。きみは読書をこき下ろすが、執筆についてはどうなんだ。それは読書体験の一部といえるのではないか。

肉体装置 ああ、またこいつかよ……よし、おまえにわかるように言ってやる。おれの文章は勃起したち○ぽこ回転木馬だ。そいつはインターネットに接続されているすべてのホスト・ストレージとおなじだけの広さをもつ情報空間に屹立している。淫乱どもが、こいつに乗りにやってくる。

修辞学(簡単:成功) 面白い話をしておるようじゃの?

肉体装置 やつらは淫乱で、オタクで、汚物嗜癖症だ。救いがたい。ただ、やつらの集合無意識的おフェラがたまらなく気持ちいいことは確かだがな。

内陸帝国(簡単:成功) 待ちなさい! こんな原稿を出してはいけません! この原稿をただちに焼却し、ごくふつうのレビューを提出するべきです! ゲームレビューという文化に一石を投じたいと思うのなら、確立された商業媒体ではなく、同人誌やブログでこっそりやりなさい!

論理(簡単:成功) 待つもなにも、これが「読まれてる」ってことは、もうそれが「出た」あとじゃないか。

肉体装置 孕んだかもな。(訳注: 原文の conceived には、「着想する」という意味と、「妊娠する」という意味がある。)

インターネット上のランダムな文章―― くそ。いきなりめちゃくちゃだ。どうする。

1. 駄目だ。この書き出しは削除しよう。

2. これはかなりディスコな書き出しだな! 編集者も驚喜するだろう!

3. [手さばき - 5] 但し書きをつけたうえで伝統的なゲームレビューの路線に戻す。(+2 最高級キーボード、R2TLA-US3-BKを持っている。 非常に高い - 88% )

4. [概念化 - 20] この調子を続けたうえで「読ませる」。(-1 読者を馬鹿にした。 -1 自信がない。 -7 締め切りを大幅に超過している。 非常に低い - 3%)

3. 成功 - 手さばき ―― 上記の文章は本項の執筆者個人の表現であり、IGN Japanの見解を示すものではありません。

インターネット上のランダムな文章―― びっくりさせてしまって、面目ない。だけど、これは必要なことだった。本稿がレビューする『ディスコエリジウム』は、ほぼ全編が上記のような調子の、「スキルチェック」をもちいて夢幻のように展開する、テキスト・ヘヴィなアドベンチャー・ゲームである。上記のちょっとしたおふざけは、本家の味の再現というわけだ。この独特のシステムをもつテキストに興味を惹かれたなら、いますぐご自身でプレイされることをおすすめする。なんといっても、本稿には、選択肢という相互作用が存在しないわけだから。それでは、レビューをはじめよう!

薄明 (少し難しい:成功)上手くいってよかったな、ビジネスマン。

インターネット上のランダムな文章―― すっこんでろ!

……結論から言うと、主人公は腹の出た毛深い中年の男である。記憶を吹き飛ばすくらい酒を飲み、はげしい頭痛とともにホテルの一室で目覚める。室内はおそろしく散らかっている。というより、ほとんど破壊されている。自分がやったのだと気づくまで、しばらくかかる。記憶を吹き飛ばすくらい飲んだ、というのは、比喩ではない。かれはほんとうに記憶を失っている。室内に散乱した衣類をかき集め、なんとか身だしなみを整えているとき、かれは気づく。おれはいったい、どんな顔をしていたっけ?

(ちなみに筆者はこれが二度目のプレイだったので、視覚的なアイデンティティを完全に拒否したままクリアするのも一興だと思い、主人公に鏡を確認させていない。そのため、プレイ画面左下の主人公の顔はずっと絵の具の亡霊のままだった。)

ホテルのロビーに降りていくと、オレンジ色のボンバー・ジャケットを着た男が立っている。彼の名はキム・キツラギ。ある事件の捜査にやってきた、警部補だという。しかし主人公は自分が刑事であったことはおろか、自分の名前も、過去も、すべて忘れてしまっている。そのことを伝えると、キムは静かに言う。「もっとひどいありさまの捜査官も大勢見てきた。それに比べればまだましだ」

記憶を完全に吹き飛ばすほどの宿酔いよりもひどい状況など、なかなか想像できないが、それでもふたりは事件の捜査をはじめる。厳然とした事実として、主人公が泊まっていたホテル、〈ウィーリング・イン・ラグス〉の裏庭には、すでに一週間ものあいだ、男性の死体が吊されたままなのだ。ひどいにおいが通りにまで漂ってきている……。

ゲームシステムについて

物語の導入部はこんなところだが、ここで指摘しておきたい。裏庭に吊られた死体にまつわる話や、主人公が記憶喪失であることは、たしかに本筋ではあるが、それと同時に、プレイヤーがゲームをはじめるための、きっかけのようなものにすぎない。

主人公は、おもな舞台となる、マルティネーズたる湾港エリアを探索する。見下ろし視点からポイント・アンド・クリックの要領でかれを操作し、そこにいる人々の話を聞いていくことになる。20名以上の登場人物はみな個性的であり、エリジウム世界のさまざまな組織やパーソナリティを表象している。ホテルの店主、吊された死体に石を投げつけて遊んでいる近所の悪ガキ、本屋の店先で「客寄せ」をしている少女、湾港の輸入出業者のストを破ろうと試みている男、などなど……。

用意されたダイアローグもまた多彩であるが、それは「事件」にさまざまな角度から光を当てるから、というだけの意味ではない。主人公は、記憶を失っているという事実を差し引いても、じつにいろんな質問や発言をする。ごく基本的なこと、世界のこと、ちょっとこいつはおかしいんじゃないかと相手に思わせかねないもの……。そして、そのほとんどを、プレイヤーが選ぶことができる。質問の種類はパッシブだったり、アグレッシブだったり、教養主義的だったり権威主義的だったりロックスター的だったりするが、基本的には「数打ちゃ当たる」式である。

これらの質問とそれにつづくキャラクターたちからの応答が、抜群に面白い。主人公はこの世界の基本的な構造さえ忘れてしまっているが、それはこのゲームをはじめてプレイしているプレイヤーの状況と重ね合わされている。そして、かつて同僚たちから「缶切り」の異名をつけられていた主人公が、かれに唯一残された道具、言葉という不可視の缶切りを用いて人々の心をこじ開け、そのなかに含まれていたコンテンツを取りだしていくとき、プレイヤーはキム・キツラギのように多少の心の痛みを覚えながらも、そのコンテンツを味読していくことになる。それはこの世界の構造や歴史であったり、イデオロギーの議論や、ごくパーソナルな悩みであったりする。

これらのダイアローグには、「事件捜査」という本筋からすれば「脱線」としか言えないようなものも、数多く含まれている。しかしながら、もはやこの「脱線」こそが、本作のもうひとつの魅力だと言える。テキストそれ自体の諧謔味や知性がおもしろいうえに、ほんのささいな発言にも(この世界における)歴史的な意味や文脈があり、すべてが注意深く寄りあわされた、ひとつの強固なフィクションになっている。

もともと熱心なTRPGファンのグループだった開発者のZA/UMは、われわれが暮らしている現実とは、地政学的にも、歴史的にも、宗教的にも異なる、巨大なひとつの世界――エリジウム世界とよばれるそれを、まるまるひとつ生み出してから、この物語を書いている。はじめのうちはちんぷんかんぷんだった、やけに詳しい架空の歴史や設定が、べつべつの人物の何気ない証言によって結びつくとき、本作は文学的な凄味を放ちはじめる。

ゲームシステムも古典的TRPGへの目配せを行っている。その構造を解説しておこう。

プレイヤーはゲームの開始時、知性、精神、肉体、運動能力の、4つのアビリティに数値を割り振る。これらの数値が、後述する各カテゴリの「スキル」のレベル上限値になる。

アビリティを振り終えたあとは、24の「スキル」を割り振っていく。これらのスキルの数値は、いくつかのイベントやダイアローグの発生条件となっている。たとえばゲームの開始時、半裸の主人公が天井のファンに引っかかっているネクタイを取ろうとするときには、「運動能力」カテゴリの「手さばき」の数値が参照され、「ダイスロール」が行われる。

このダイスロールにはイベントごとに個別の難度が設定されており、後述する計算式によって算出された数値が、イベントの要求するスキルチェックの数値を上回っている場合、ダイスロールが成功する。急場の決断や取り返しのつかない質問などは「レッド・スキルチェック」で、失敗すると二度と挑戦できない。もうすこし些細なものは「ホワイト・スキルチェック」で、参照される数値をレベルアップしたり、イベントを進めたりすると、もういちど挑戦できる。

「スキルチェック」の計算式は、

チェックされたスキルのレベル+6面ダイスふたつをロールした結果+服飾やハーブや「思考キャビネット」による能力補正値+そのほか事前に持っていた情報やアイテムによる補正値

の合計である。たとえば以下のスクリーンショットのスキルチェックはスキル「電気化学」を参照するものだが、このプレイスルーにおける主人公のスキル「電気化学」の数値は8なので、ふたつのダイスを振って4以上の数値が出れば、スキルチェックに成功したことになる。

なお、特例として、ダイスロール時に1あるいは6のぞろ目が出た場合、そのスキルチェックはいかなる条件下でも成功する。つまり……ええっと……その……

1. よくわからない。おざなりに済ませる。

2. [論理 - 12] 計算式を構築して提示する。

[論理 - 12 低い - 33%] 失敗 - えーと、すべてのダイスの組み合わせが……いくつだ?(ネットを調べる)36通りだから、ぞろ目が出る確率は6/36。それに……2/6をかけるのかな? そうだよな? たぶんそうだな。そう、つまり1/18の確率でスキルチェックは成功するんじゃないかな。知らんけど。

(編注: 筆者の計算式は正しいですが、前提を間違えています。ダイスロール時に6のぞろ目が出た場合は、つねに成功しますが、1のぞろ目が出た場合は、つねに失敗します。つまり、スキルの値にかかわりのなくダイスロールが失敗あるいは成功する確率は1/36で、3.3333...%です。)

とはいえ、スキルチェックの成功はゲームクリアに必須のものではない。失敗をしたらしたで、そこからまた興味深い出来事が分岐していくこともある。あるところで筆者の主人公は「サン=サーンスの一番小さな教会」という曲をホテルのバーでカラオケしたのだが、スキルチェックに失敗したほうのバージョンも、それはそれで面白い味付けになっていたと思う。こちらのほうが好きだと言う人がいても、おかしくないくらいに。

さて、24の「スキル」の役割はスキルチェックだけではない。いずれかのスキルのレベルを高めると、それは主人公の、いわば「性格」となって、テキストに現れてくる。これは主人公の人格が分裂しているわけではなくて、かれが心のなかで出来事を解釈したり、意見を持ったりするとき、どのような角度からそれを行いがちか、という話である。たとえば、スキル「電気化学」を伸ばしていると、ハーブや〈****〉なんかが登場するたびにそれを喫いたくなるし、スキル「共感」を伸ばしていくと、聞き込みを行っている相手の心の動きを読み取れる、といったものである。

電気化学 (少し難しい:成功)―― ハーブもってこい!

煙草を一本喫うのにも、「電気化学」くんが出しゃばってきて、脳内でこの大騒ぎ。

さまざまな人物に聞き込みをし、事件の真相に近づくにつれて、主人公の「レベル」が上がっていく。プレイヤーはその報奨として得た「スキルポイント」を24のスキルに割り振っていける。そうすると、はじめのうちはおとなしい印象だった24のスキルがかれの頭のなかでおしゃべりをやりはじめ、たくさんの解釈や意見が生まれてくるようになる。

このシステムは、あるひとりの人間が持ちうる意見の多様性を表現したもの、と言える。単に優柔不断だったり、あたらしい選択肢が開けたりするのも面白いが、主人公が窮地に陥り、それまでばらばらだった性格たちが一致団結して解決しようと試みるシーンなどは、圧巻である。もちろんそれはひとりの人間の火事場の馬鹿力を描いたものにすぎないのだが、それをこんなかたちで表現した作品を、筆者はほかに知らない。

筆者は今回のプレイスルーを、「肉体」カテゴリのスキルに多く割り振って行ったため、はじめのうちはかなりきわどい差別的表現を含む、マッチョで暴力的な意見が脳内を占めた。しかし、だんだんと繊細で内向的な「内陸帝国」が育ってきてしまい、このふたつが脳内で喧嘩をはじめることが多くなってきた。そうして産出されたテキストを見ていると、あまりにも考え方がパッシヴ・アグレッシヴで、読んでいて辛いくらいだった。こんな矛盾した性格では、生きるのがつらいのに違いなく、わたしの主人公が記憶を吹き飛ばすくらい酒を飲んだのも仕方がないと思われてくるのだった。そのころにはもう、この主人公に感情移入しきっているのだ。

「精神」カテゴリのみなさんがキムの反応をしきりに気にしているところ。

そして、どうしても成功させたいスキルチェックに突き当たったが、自分がそのスキルを伸ばしていない場合に役に立つアイテムが二種類ある。消費アイテムと服飾である。前者はいずれかがゼロになるとゲームオーバーになる体力値��るいは精神値をひとつ消費して、四カテゴリのスキルにバフをかけるもので、酒が肉体を、煙草が知性を、向精神薬が精神を、運動向上薬が運動能力を引き上げる。

服飾はゲームプレイ中に手に入るもので、ゲーム中の主人公の格好を変え、24のスキルに細かい補正値をかける。瓶底メガネをかければ「百科事典」がプラスされ、サテン地のシャツを着れば「概念化」がプラスされる。しかし、筆者は個人的に、この機能をあまり使いすぎるべきではないと思う。スキル値ばかりを追い求めると、ドレスコードがめちゃくちゃになって、われらの主人公の見た目がほんものの変態になり、(ストーリーの進行にはそこまで影響しないが)絵として見たときに画面がまったく締まらなくなるのだ。

ついでに、さらに個性的なシステム「思考キャビネット」も紹介しておこう。これは作中のさまざまなイベントや、能力値、プレイヤーの選択肢の傾向から導き出されるアンロックで、イメージとしては「Fallout」シリーズの「Perk」に近い。しかしその効果はアンロックするまで明らかにならず、説明文を読んでも、ちんぷんかんぷんだったり、やけにポエジーに満ちあふれていたりする。おそらくなにかのイベントの発生条件になっていたりするのだろうが、どちらかというと、これもテキスト自体を読んで味わうのが面白い。

筆者の主人公はなにかうまくいかないことがあると物にあたるタイプの困ったひとなのだが、物にあたるたびに先述の体力値が引かれるので、回復アイテムを用いなければならないことも多くあった。そうしているうち、自分は物質界の王であるとかなんとか考え始め、なぜか物に当たるたびに体力が回復する「思考」を習得するに至った。もちろんオブジェクトを破壊することはできないし、その「思考」の効果が発動するのも体力値が引かれてからなので、はっきり言って最初から物に当たらなければいいだけなのだが、その矛盾が面白い。本作の真ボスともいえる浜辺の公衆電話での暗澹たる会話のあとで、電話機を殴りつけたとき、体力値が引かれてから回復したのには、主人公には申し訳ないが、筆者は爆笑してしまった……。

思考キャビネットの一例、「マグネシウム生命体」。この世界では、あらゆる内臓疾患にマグネシウムが効くと信じられているらしい。わたしの主人公は昼間から酒を飲み、向精神薬や運動向上薬をキメまくったので、ことあるごとにマグネシウムのお世話になった。そのおかげで、自分の肉体をカーボンベースではなくマグネシウムベースに進化することを思いついた……のだと思う。

上記にしたようなダイアログのシステムに乗っかって、プレイヤーは湾港の街をさまよい歩き、吊られた男にまつわる事件と自分自身の正体を追求していく。はじめのうちはシステムを理解するのにすこし時間がかかるかもしれないし、人物たちに話しかけても架空の世界の常識をベースにして語るから、ちょっと面食らうかもしれない。

しかし、そこで出番となるのがテキストである。この作品は、それ自体の恒常的なおもしろさを、ほぼ完全にテキストに委託している。ゲームを作るときには、それこそスキルポイントを割り振るように、グラフィックやゲームシステムや音楽などの各分野にリソースを割り振るものだと思う。そこへきてこの作品は、極振りまでとはいかずとも、テキストにかなりの力を入れている。断言するが、一級品だ。これが面白くないのなら、いまはまだその時ではないだけだ。これは「ホワイト・スキルチェック」だから、レベルアップしてからまた来ればよい。

ゲームシステムの解説はこんなところだろう。

肉体装置 (少し難しい:成功) ああ、くそめんどくせえ。くそファッキンめんどくせえ、くそ仕事だ。もうわかったろ、オタクども。さっさとおまえの安い給料でゲームを買って遊んでこいよ。10/10、マスターピースだ。おれが言うんだから、間違いねえ。行けよ。

内陸帝国(簡単:成功) あああ! ネタバレ! ネタバレです! お黙りなさい! そんなことを言って、読者の機嫌を損ねたらどうするのです! ネットにはびこる誹謗中傷、言葉狩り……ああ、怖気がしてきた!

共感(難しい:成功) いや、大丈夫だ。みんな面白がって読んでる。

インターネット上のランダムな文章―― それでは、ストーリーはどうだろう?

メインストーリーについて

この作品の「本筋」は、要約すると、ひどく陳腐なものに見えるだろう。プレイしたあとによくよく考えれば、あんな人物が真犯人だったというのは、お話作りの基本から大きく外れている。それではなぜ、わたしはこのゲームをここまで真剣にプレイし、結尾にもしっかり感動したのだろう? 

先にも言った通り、この作品における「本筋」は、冒険をはじめるための都合のいいきっかけにすぎない。それは人生とおなじようなものだ。計画を組み、予定を立て、「捜査」とやらを進めてみる。しかしこの正体不明の怪物は、すこし相手をすると、とたんにその本性を露わにする。公共的な生きる意味、大義なんてものは、どこにも存在しない。ただ、みんなが幸せで、楽しくて、愛と光があれば、それでいいのである。

たしかに、一般的な意味での愛と光は、すぐには見つからないだろう。五十年前の革命戦争の傷跡がいまだ生々しい湾岸の街、レヴァショールには、そこかしこに貧困と汚泥とごみくずが蔓延している。人々はそれぞれのトラブルを抱え、うつむきがちに話し、寂しそうに微笑む。そもそも、主人公自身がぼろぼろである。アルコール中毒で記憶がないうえに、ゲームを進めるにつれて、ほんとうになにもかもを失った男であることが知れてくる。

それでもこの作品に愛と光が満ちているのは、作家たちが創造したエリジウム世界が、途方もなく美しいからだ。冒険をつづける主人公とプレイヤーに、世界からの返礼としての愛が贈られなかったことは、いちどもない。ホテル〈ウィーリング・イン・ラグス〉の屋上でつかまえた、かつての革命を象徴するスズランのドライ・フラワー。廃業したジムに迷い込み、そこで見つけた重量挙げのダンベルを持ち上げてみせたときの、キム・キツラギの尊敬のまなざし。ある意味では最高にディスコなダンスを踊っていたともいえる、吊られた死体のまわりの、凍った汚泥の足跡たち。革命軍と王党派、国粋主義者と共産主義者。忘れ去られた革命のポスターと、地下武器庫の錆びついた小銃。

この言い回しは、たしかロシアの作家だったと思う。「幸福な家庭はどれもおなじに見えるが、不幸な家庭はそれぞれに色彩がある」。たしかにこの湾港の街の人々は、みなそれぞれに人生に傷つき、悲しみを抱えている。しかし、だからこそ、彼らとおなじくらい何もかもを失った「缶切り」の主人公が、あるときはずけずけと、あるときは慎重に核心をつく質問をし、彼らがその胸中を明かし、主人公への友情と共感を示すとき、そこには「ディスコ・エリジウム」のダンスフロアのような愛と光が満ちる。あのクラブのメインDJ、エッグヘッドは、かつて断言した――愛はハードコアだ。

ここまでハードコアな作品は、ゲームプレイのインテグリティや、「良さ」の概念をまぜあわせ、既存の美しさ、楽しさのルールを、いっぺんに新しいものにしてしまう。これ以降に登場するテキスト・ヘヴィなアドベンチャーゲームは、この作品の存在を意識せざるを得ないだろうし、それによっていつかまた新たな作品が生まれてくるだろう。そのことにどんな意味があろうとなかろうと、それは非常にディスコで、ハードコアな試みである。

内陸帝国(簡単:成功)すばらしい筆致です! 読者の感動はまちがいなし! あなたはまたひとつ、ゲームレビューの歴史に堂々たる達成を加えましたね! さあ、ここで文章を終え、総評と採点に入りましょう! ……ま、みんな点数だけしか見ないので、すべて徒労なのですが。

電気化学(普通:成功)やっと終わったか。パーティーにしようぜ。昨日の〈****〉はまだ残ってるよな?

意志力(伝説:成功)いや、まだだ。

内陸帝国 えっ?

インターネット上のランダムな文章―― 「文章」の話をしよう。この作品のいちばんの魅力は「文章」にある。もちろん、それを支えるアートワーク、音楽、ゲームシステムなどは、たんなる添え物ではない。とはいえ、この作品の文章は、コース・ディナーのメインのようにジューシーで、それ自体の美味ぁいエキスにあふれている。これがあるからこそ、プレイヤーは複雑に編み込まれたイベントフラグや、架空の世界の歴史や宗教、過去の戦争などに興味をもち、それを楽しむことができる。だからこそ、重要になってくるのは――(深呼吸をしてから)――、「翻訳」のクオリティだ。

内陸帝国 ああ……。

肉体装置 おいおい、こいつ、マジかよ……。

悪寒(伝説:成功) 真夜中過ぎ、明かりのついていないマンションの一室。漆黒の闇のなかに、コンピュータと接続されたスクリーンの光がこうこうと輝いている。その画面には、クラウドで動作する翻訳管理ソフトウェアが表示されており、そこには絶望的な数字が……日ごとに確かに満ちていく潮のような数字が、表示されている。「10293257ワードのうち、249532ワードの仮訳が完了しました。」部屋の持ち主である翻訳者が部屋に戻ってきて、コンピュータの前に腰掛ける。すこし酔っ払っているのか、頬が赤い。彼はしばらく画面を見つめたあと、両手で顔を覆う。――駄目だ。間に合わない。これ以上、納期は延ばせない。ああ、どうしておれはこんな怪物と戦おうとしたんだろう? 金のため? 名誉のため? 何のためだったんだ? すこしして、彼は顔の覆いを取る。その目はまだ死んではいない。――何のためでもない。おれたちにしかできないから、やるんだ。そして彼は辞書ツールを起動し、仮訳の査読を再開する。無数の難読語彙、他言語、作中内造語。――ああ、こいつは"Shot"を「撃つ」と訳しているが、この場面でキムが持っているのは、銃ではなく、カメラじゃないか……。

ローカライズについて

インターネット上のランダムな文章―― はっきり言って、「ハリー・ポッター」シリーズ七部作とおなじだけの量をもつ文章を、たったの一年で訳出するなど、人間業ではない。そしてそのテキストが直線的なものではなく、複数の筋が平行して進んでいく本作のようなものとなると、その難度は何倍にも膨れ上がる。

そもそもの量が桁違いだから、複数の翻訳者がチームを組み、手分けして仕事に当たることになるが、そうするとますます、文脈の齟齬は避けがたいものになってくる。ある箇所で一般的な名詞として用いられていた単語が、べつの箇所では作中の専門用語として登場するかもしれない。単純な文書翻訳にはない、テクニカルな問題――改行処理やアイコンとの見栄え、見た目の可読性なども考慮に入れなければならない。

翻訳は、原文の代替とはなり得ない。なぜなら言語は、意味だけでできているわけではないからだ。言葉は、音楽でもある。ある単語がどんなリズムで読まれ、どんな韻を踏み、どんな遊びをするか。この音楽的要素は、ある言語に固有の発音や正書法と、完全に結びついている。そして、本作のテキストの魅力のすくなくとも四分の一は、上記にしたような音楽から――文体から来ているものなのだ。彼らは、それをどう訳したか?

人間にできる最高の仕事のひとつだ。読者に遠慮せず、難しいところは難しいまま、意味の通りにくいジョークもできるだけ素直に。ときにはさり気なく意味の裂け目に接ぎをあて、突き放すところは突き放す。それは単純に見えて、じつに困難な、心のこもった作業だ。

翻訳の監修を担当した武藤陽生は、自身のYoutubeチャンネルで、本作の翻訳作業のスタイルを明らかにしている。それは、氏によれば、「直訳」である。現在形をそのままに、難読単語をべつの単語に分解することなく、ときには逐語訳から意味が類推できる慣用句をそのまま用いた。(「くそが扇風機に当たったあとの準備はできている!」)

もうひとつのポイントは、作品中に配された「訳注」だ。これは当然、原文には存在しない。どうしてもニュアンスがくみ取れないであろうもの、原文がある単語のダブル・ミーニングを積極的に行っているもの、日本語話者にあまりなじみのない通俗概念の説明、などなどに用いられている。これがあるおかげで、よく読んでいるかぎり、意味の面で置いてけぼりにされることはないだろう。

さらには、ショートカットキーひとつで、ポーズなしに二言語を切り替えられる機能も搭載されている。どうしても理解できない言い回しに遭遇したときは、ボタンをひとつ押すだけで、原文、あるいはほかの翻訳された言語と付き合わせて、読者みずからが能動的に意味をつかみ取ることができる。

これこそが、ローカライズという仕事だ。細心な作業の結果として、外国の土で育った大樹を、日本語に移し替えることに成功している。この作品の日本語は、われわれの大地にしっかりと根を張り、ほかの樹と交わりつつ、固有の言の葉を茂らせるだろう。

内陸帝国(簡単:成功) そのあたりにしておくのです。それでいいではありませんか。なんの傷もない、最高の芸術作品です。おかしなところはひとつもありません。

薄明(難しい:成功) おい。おまえ、何か隠してるな。なあ、ぶちまけてやれよ。*おまえ*はどう思ったんだ。ここは*おまえ*の場所だぜ、ベイビー。見せつけてやれよ、おまえのでっかいち○ぽこをよ。

内陸帝国 やめなさいったら!

インターネット上のランダムな文章―― 翻訳の話になるたびに、筆者は思い出す。ある小説家がインタビューで、自身の作品が外国語に翻訳されることになったとき、翻訳者に対して求めるものはなにか、と問われた。彼はすこし考えてから答えた、「作家よりもすぐれた才能を、原文の言語と、翻訳先の言語に持っていること」。わたしもたしかにその通りだと思うが――実際問題、そんな天才、どこにいる。

はなから負け戦なのだ。原文がもっていたニュアンスとリズムは、翻訳者たちの指先から、どんどんこぼれ落ちていく。軽快に、ときには晦渋に、ときにはしょうもなさすぎて失笑してしまうジョークをまじえつつ、主人公の失われた記憶と湾港の街をめぐる巨大な陰謀を、出身も階級もさまざまな人々の語りによって展開していくこの作品――このビデオゲームの翻訳は、この世のどんな文学作品を訳するよりも難しかったに違いない。

正直に言おう。英語で読んでいるときのほうが楽しかった。軽快で、キレがあって、ディスコだった。たとえば、あるところで主人公が自分を紹介するのに思いつく「へんな警官」という言い回しの面白さは、英語圏における "Good Cop / Bad Cop" (いい警官と悪い警官)のステレオタイプを、読者が知っていないと理解できない。原文では、「へんな警官」は"Weird Cop"で、これは刑事ものだから、ぴんとくるようにできている。音節の数もグゥド、バァド、ウィエードと揃っているし、それぞれの単語の終わりがdの音で終わるのもクールだ。そしてそれまでに主人公がやってきた、めちゃくちゃな会話を思い出すとき、そうだ、たしかにこいつはGoodでもBadでもない、"Weird Cop"だと、静かな笑いがふつふつとこみ上げてくるのを抑えられなくて……

権威(普通:成功) おい。

インターネット上のランダムな文章―― はい。

権威 いい加減にしろ。この翻訳のクオリティは高いのか低いのか、どっちなんだ。

インターネット上のランダムな文章―― ええと、高い、と思います。

権威 それなら評点の差し引きはなしで良いだろう。おまえは*あの*IGN Japanの代表者だ。その見解に口を差し挟むやつがいようと、おまえにくらべればミジンコも同然だ。

修辞学(簡単:成功) その言葉に耳を傾けてはならん。おぬしにはわかる。もっと時間をかければ、もっとすばらしい翻訳ができたはずじゃ。原文のリズムを踏襲しつつ、ジョークを組み替え、語彙の難解さを絢爛さに変換するような翻訳が。

共感(簡単:成功) 翻訳者たちの正気と引き換えにね。

概念化(難しい:成功) むしろ、評点を引くことによって起こりうるバタフライ・エフェクトに焦点を当てるべきだな。9と10とじゃ、大違いだ。おまえは読者にこの作品をプレイしてほしいのか、してほしくないのか? どっちなんだ?

インターネット上のランダムな文章―― しかし、できるだけ客観的な視点からゲームを評価するのがわたしの仕事だ……

薄明(難しい:成功) うるせえ奴だな。んなこと、どうでもいいだろうがよ。*おまえ*が書いてるんだろ。*おまえ*が決めろよ。ここでは、*おまえ*が主人公だ、ち○ぽこ回転木馬のな。

平静(普通:成功) よし。いつも通りのやり方、四捨五入でいこう。『ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット』は、95点以上だったか?

1. ああ。最高傑作だ。(END)

2. いや。あともう少しだ。(END)

長所

  • 愛と光に満ちあふれたディスコなテキスト
  • テーブルトークRPGの堂々たる凱旋
  • 心のこもったローカライズ

短所

  • 翻訳によるニュアンスの喪失(不可避)

総評

『ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット』のテキストのすばらしさは、これまでに発表されたビデオゲームのうち、最高のもののひとつである。豊穣な世界観に下支えされたTRPGアドベンチャーは、ディスコな愛と光に満ちている。日本語翻訳のクオリティは、翻訳という仕事が達成可能な上空ぎりぎりを、レヴァショールの浜辺を飛ぶカモメのように羽ばたいている。

※購入先へのリンクにはアフィリエイトタグが含まれており、そちらの購入先での販売や会員の成約などからの収益化を行う場合はあります。 詳しくはプライバシーポリシーを確認してください

ついに日本語化されたもはや伝説のアドベンチャーゲーム『ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット』レビュー

10
Masterpiece
『ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット』のテキストのすばらしさは、これまでに発表されたビデオゲームのうち、最高のもののひとつである。豊穣な世界観に下支えされたTRPGアドベンチャーは、ディスコな愛と光に満ちている。日本語翻訳のクオリティは、翻訳という仕事が達成可能な上空ぎりぎりを、レヴァショールの浜辺を飛ぶカモメのように羽ばたいている。
ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット